
要庵のある学区は「生祥」(せいしょう)と呼ばれ、生祥幼稚園、生祥小学校がありました。主人の出身校でもありますが、過去形で書いた、と言うことは残念ながら、今は存在しません。寂しいですが、、、。ここは、京都の中心街で新京極や錦市場、四条は、昔ながらの商売人も多くいます。「生祥学区」は歴史もあり、なかでも生祥小学校は京都でも三本の指に入るほどの古い学校で、京都のモデル校にも指定されました。

生祥小学校の運動場は、当時では珍しく、陸上グランドのようにアンツーカーの赤土で、小学生ながらそのことに誇りを持っていて、うれしかったです。建物も学区の住人の寄付で鉄筋タイル張りの最先端の校舎でした。主人が小学校の頃は1クラス30人で2クラスでしたが、その後のドーナツ化減少に伴い1クラス約12人くらいになり統合されました。

周辺の5校が統合され、一番大きな敷地の小学校が立て替えられてましたが、バブル崩壊後、土地の値段が3分の一くらいまで減少して、さらに昔ながらの呉服屋さんや旅館が廃業して空地になりました。そこにマンションが建ち並び、逆ドーナツ化現象となり新しいマンションの住民が増えて、統合された学校では校舎が足らない事態が起きてきました。
(4月7日 要庵 主人書)