京都要庵歳時記 『京都の方除の大社 城南宮』(2) |
平安時代の末には、交通の要であり、風光明媚なこの地に白河天皇が壮大な離宮、城南離宮と鳥羽離宮を造営して院政を開始しますと、歌会や宴、船遊び、競馬がしばしば行なわれ王朝文化が華麗に花開きました。また熊野詣でに先立ち、道中の安全を祈って城南宮で身を清めて出発する慣わしとなり、方角の災いを除く方除や旅行の安全の進行も重ねて高まりました。
その後、後鳥羽天皇が城南宮の流鏑馬と称して武士を集めて戦った承久の乱を起こしたり、明治維新には城南宮に陣を構えた薩摩藩の大砲が鳴り響き、鳥羽伏見の戦いが行なわれたり、平安時代から武士の世、そして明治維新、都の南、城南の地は歴史の舞台になりました。
(6月14日 要庵 主人書)