京都要庵歳時記「平成24年 祇園祭 宵々山の情景」(3) |
数年前から祇園祭の宵山の夜店、とくに食べ物を売るお店に変化が起こってます。それは、保健所の食品に関するチェックが年々厳しくなり、安全のため冷凍食品など限られた食品を使うお店が増え、各店の個性がなくなってきました。それに加えて、昔懐かしい夜店が無くなってきました。なおさら風情が無くなってきます。そんな中でも、鉾町の町家が祇園祭の絢爛豪華な衣装や備品を道端からそれらを見られるように飾っているのは、京都の町衆文化の素晴らしさ、誇りゆえでしょうね。
これも時代の流れ?
昭和の時代から平成になり、バブルが崩壊して20年経ちますが、鉾町の室町や呉服製造の西陣だけでなく、要庵西富家周辺の生祥学区や日彰学区(小学校)も同様に昔からの旧家や商店や旅館が売られ、マンションや100円パークに変貌しています。もう少し範囲を広くすれば、堀川通から丸太町通、河原町通、そして五条通の「田」の字の区域は、ほんとうに昔ながらの町家が壊されましたね。時代の流れで仕方ないことですが、もし保存されていれば、いまごろは世界遺産に間違いなくなっていますね。
鉾の幕と美術品
土地は100円パークになり、昔からそこに住んでいる人も少なくなってきましたが、文化遺産でもある「時代祭」は、そこに住む人々によって継承されています。そして、「祇園祭」も動く文化遺産と言われます。主人も生まれたときから、祇園祭といっしょです。主人が小学生のころは、粽が見物客に投げられた時代もありました。その昔には、寺町通にも鉾が通った時代もありました。やはり、祇園祭は日本一の祭、と言っても過言ではありません。
(7月20日 要庵主人書)