京都要庵歳時記「平成24年 節分祭 壬生寺」(2) |
「節分」の説明の続きですが、「節分」は季節の分かれ目の意味で、昔は、「立春」「立秋」「立冬」のそれぞれの前日をさしていましたが、「節分」が「立春」の前日をさすようになった由来は、冬から春になる時期を一年の境として、現在の大晦日と同じように考えられたためです。冬と春の分かれ目である「立春」の前日に行なわれるようになりました。京都では宮中から市井の大きな歳時に「節分」はなり、今でも大切に「節分祭」が行なわれている理由です。
京都の「節分祭」を代表する四方参りは、東西南北にあります吉田神社、壬生寺、伏見稲荷大社、北野天満宮です。その中で女将は、毎年壬生寺に詣りに行きます。壬生寺の歴史は古く、平安時代に創建され鎌倉時代後期に火災で焼失しますが円覚上人らによって再興されました。なぜ伺うかは、壬生寺ならではの催しがあるからです。「節分祭」に「厄除 大念佛」と書かれた、宝らく(素焼き)の内側に家族の名前と数え歳を書きます。宝らく代500円に、100円の書き代、合計600円が必要ですが(笑い)。
(平成24年2月6日 要庵 主人書)