
2月2日と3日におこなわれました壬生寺の節分祭に、女将は実家のお母さんと一緒に行って来ました。毎年恒例で楽しみにしています。「家内安全や無病息災」を願う家族思いや家庭を守る女性の思いですね。それで、節分の説明の続きですが、昔は節分は季節の分かれ目の意味で、「立春」「立冬」「立秋」「立冬」のそれぞれの前日をさしていましたが、節分が立春の前日をさすようになった由来は、冬から春になる時期を一年の境として、現在の大晦日と同じように考えられたためです。

冬と春の分かれ目である立春の前日に行なわれるようになりました。京都では宮中から市井の大きな歳時に節分はなり、今でも大切に節分祭が行なわれている理由です。京都の節分祭を代表する四方参りは、それぞれ東西南北にあります吉田神社、壬生寺、伏見稲荷大社、北野天満宮です。その中で要庵の女将は、毎年壬生寺に詣りに行きます。壬生寺の歴史は古く、平安時代に創建され鎌倉時代後期に火災で焼失しますが円覚上人らによって再興されました。

壬生寺ならではの催しは、節分の時に宝らく(素焼き)の外側に「厄除 大念佛」と書かれ、その内側に家族の名前と数え歳を書きます。例えば・・・・・西田家 男57歳 女53歳 女29歳 男2歳と書きます。更に「奉納」と書き、願いことを書きます。
檀家さんも手伝われ書いて下さりますが、その場合は宝らく代500円に更に100円の書き代、合計600円が必要です。(にが笑い)
(平成23年 2月7日 要庵 主人書)