京都要庵歳時記「体育の日 生祥区民体育祭」(1) |
生祥学区は主人が小学生のころは、、、、、、生祥に通うほとんどの子供の親はご商売をしておられました。それが、昭和、平成と時が進むとともに、廃業される店が増えて、家族構成も大家族から核家族になり、子供の数も減少し、成人した子供は結婚を機会に郊外に移り住み、まぁ~俗に言う「ドーナツ化」現象の典型的な学区になりました。そのため生祥小学校は廃校になり、やがて近隣の学校に統合されました。
しかし、バブルピーク時には京都でも一番の立地条件で環境も良い場所なので高価にもかかわらず土地が買われ、そこに建ったマンションに新しい住民が住み、子供も増え、統合された小学校も手狭になりました。生祥小学校は無くなりましたが、学区は今でも残っていますので、今でも区民体育祭が行われています。小学校の学校行事の運動会ではなく、地区の体育振興会の主催で、自治連合会の後援で運営されます。
(10月15日 要庵 主人書)